mi-saです。
沖縄地方、梅雨明けしましたね。
さて、
6月23日。 慰霊の日。
みなさまのご存知の通り、
沖縄戦において陸軍の指揮をとっていた
牛島司令官の自決によって、
日本軍による組織的な沖縄戦が終了した日。
その、牛島司令官の所属する陸軍の沖縄戦における当初の司令部は
現在の首里城の敷地内にあったとされていますが、
日本海軍の司令部がどこにあったかご存知ですか?
そう、
弊社と目と鼻の先、
「海軍壕公園」敷地内にある
「旧海軍司令部壕」です。
迫り来る沖縄戦にむけ、最高軍事機密として、
日本軍が短期間で手掘りした壕。
県内出身であるにも関わらず、
その存在すら知らなかった私は、
数年前、豊見城市へ移住をしたのを機に、
旧海軍司令部壕を始め、
平和祈念公園(糸満市)、
糸数壕(南城市)、
陸軍病院跡(南風原町)
などの
複数の戦跡や資料館をまわってみました。
各戦跡をまわるなかで
その地から感じ取ることはそれぞれありましたが、
共通して思うことはふたつ。
あの当時の方々がいたから、
今の平和な時代を生きる私たちがいるという事。
そして、
平和教育の重要性。
「終戦し、生きて再会したときは喜ばれたが、あの当時は誰も“生きろ”とは言わなかった」との言葉。
自分の命でさえ自分のものではないというその当時の教育が、多くの決断や犠牲へとつながる要因の一つだったのでしょうか。
「沖縄県民斯く戦えり。
県民に対し、後世特別の御高配を
賜らんことを。」
沖縄戦で海軍の指揮をとった大田司令官が、
旧海軍司令部壕内で自決する前に送ったとされる有名な電報の一文。
天皇万歳!!と
最期を迎える事が当たり前であったあの時代。
大田司令官のその言葉には、
様々な意見があるのかもしれません。
戦争経験者は年々減少していきますが、
6月23日になる度に
改めて平和教育の大切さを考えさせられます。
次の世代にも平和な時代を・・
そのために、平和教育は重要なのかもしれません。
旧海軍壕公園下の弊社から、
恒久平和を願って。
平成30年6月23日